言葉が人を成すことについて

林修が「今でしょ」と言うと、尖った口先から出てきた「今でしょ」は既に二足歩行が可能でいて、いつの間にやらどこかへと消えてしまった様子である。

そして、そんな筈はないのに、林修は「今でしょ」と呼ばれることが多くなった。

自分は最早、消息を絶つままの「今でしょ」を、自ら探す他ない。意味段落ごとに数字を振った後、林修は訳もなくそう決意したのだ。

8つ目のお茶の間にいた「今でしょ」は、それは見るがままの「林修」であった。強いて言うならお肌が少し綺麗だったかもしれない。そのお茶の間に居合わせた専業主婦らしき女性は、ドッペルゲンガーを文字列としか認識していなかった為、二人の林修を見たとき、ドッペルゲンガーについて思いを巡らすことはなかった。

林修は多忙であり、そして狡猾である。林修は、林修の仕事を、林修2人で分担することにした。だから私達は、いまテレビに映っているのがどちらの林修であるかを理解する必要があって、そしてその割合というのは、テレビタレントとして、いや、誰にとってでも、非常に大切なことなのではないだろうか。と、僕は思うのです。

ちなみに、キングオブコントハナコに応援メッセージ送ってたのは肌の汚い方の林修で、僕は、そっちの方が良いんじゃね?と、初節句に際して思いました。